若者が愛こそ幸福だと思うのは、未熟さゆえであり、
二人で一緒に暮らせば心が幸福で満たされると期待しているからです。しかし、実際に二人が一緒に暮らす時間は、不幸や怒り、恨みを抱える時間となるのです。

私たちが幸福だと思っているものの背後にあるもの
恋愛をしている男性、特に若い男性は、恋人に「君なしでは生きていけない」とか、「君がいなければ、もう生きていたくない」とよく言います。それは、成長する過程で、愛こそが本当の幸福だと思い込んできたからです。あなたは今でも、それが正しいと思いますか。
若い頃を経験してきた人たちは、今でも愛こそが幸福だと考えているでしょうか。――いいえ、そうではありません。なぜなら、その愛の背後には結婚があるからです。そして、結婚生活に入ると、恋愛を始めた頃のような幸福を感じられなくなります。結婚生活には、心配の種となることがたくさんあります。たとえ夫婦喧嘩がなくても、二人はそれぞれの責任を背負わなければなりません。
夫婦は、もう聖者になったのでしょうか。――いいえ、まだなっていません。二人は依然として、貪欲、怒り、無知、利己心に満ちた普通の人間です。そのため、結婚生活を送る間、人間の本性である貪欲、怒り、無知、利己心によって、多くの苦しみを経験します。お分かりでしょう。愛の背後には結婚があり、家族に対する責任があり、対立や口論など、さまざまな問題があります。そして、離婚によって結婚生活を終えた人々でさえ、なお苦しみを抱えています。
この人生において、夫婦が最期まで一緒に暮らし続けることは簡単ではありません。ベトナムでは離婚率が60%を超えていますが、外国では約10%です。
お分かりでしょう。すべての人が永遠の愛を持っているわけではありません。また、恋愛や結婚には、過去からの因縁があります。愛とは、前世から引き継がれた恩返しの負債であり、男女間の愛は、この種の負債を最も明確に表すものです。あなたは、恩義を負っている相手と恋に落ちることになります。したがって、その負債を返し終えると、相手に対する愛情は消えていきます。つまり、男女間の愛は実体のないものであり、お互いに負債を返済するための手段にすぎません。そして、互いの負債を返し終えれば、その愛も終わりを迎えるのです。
あるとき、一人の青年が若い女性を私たちのところへ連れてきて、こう言いました。「師よ、私はこの女性が結婚から逃れるのを手助けしたところです。彼女の家族は、彼女が愛していない男性と結婚するよう強制していました。だから私は、彼女が家族から逃げるのを助けたのです。」
私たちは彼女を見て、彼女が誰のことも愛していないことに気づきました。それなら、どうして結婚できるのでしょうか。そこで私たちは、さらにこう付け加えました。「そして、彼女を愛している人もいません。」私たちは彼女の様子を観察して、それを知ったのです。
実際、この女性のような人はたくさんいます。誰かを愛したり、結婚したりするための因縁がないのです。もし無理に誰かと結婚しようとしても、1か月後、5年後、あるいは20年後に離婚することになるかもしれません。結局、その結婚生活は離婚によって破綻してしまうでしょう。
真実は、愛の背後には不安定で不確かな何かが存在し、それが私たちに疲労と苦しみをもたらすということです。私たちは愛を頼りにすることはできません。なぜなら、結婚生活には苦しみが伴うからです。
仮に、あなたが幸運にも良い人と結婚できたとしましょう。しかし、子どもについてはどうでしょうか。もし子どもが悪いことをするようになれば、その子どものために一生苦しむことになるかもしれません。あなたは親である以上、情け容赦なく子どもを見捨てることはできません。そのため、残りの人生をずっと子どものことで苦しみながら過ごすことになるのです。
若者が愛こそ幸福だと思うのは、未熟さゆえであり、二人で一緒に暮らせば心が幸福で満たされると期待しているからです。しかし、実際に二人が一緒に暮らす時間は、不幸や怒り、恨みを抱える時間となるのです。
著者:
Janna
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