
気候に関する宣言 ― 時代を先取りしたビジョン
目の前で起こっていることしか見えない人がいます。数年先の未来を見通せる人もいます。しかし、深い智慧と広い視野によって、世界がその深刻さに気づくはるか以前から、人類が直面する課題を見抜く人々もいます。
地球規模の気候危機は、何年も前から、環境科学の観点だけでなく、道徳、因果(カルマ)、そして地球に対する人類の責任という観点からも語られてきました。
世界が依然として原因や解決策について議論を続ける中で、さらに根本的な原因が存在します。それは、人類の生きる目的の歪みです。
以下の文章は、気候に関する一つの宣言として捉えることができます。それは地球温暖化の危険性を警告するだけでなく、この惑星の生命を守るための根本的な道筋を示そうとするものです。
なぜ地球はますます灼熱化し、あたかも終末の日が近づいているかのように、あらゆる生物の生存を脅かしているのでしょうか。
その直接的な原因については、科学者たちが長年にわたって説明してきました。すなわち、人類が化石燃料を過剰に使用し、大量の二酸化炭素を大気中に放出していることです。二酸化炭素には太陽光による熱を閉じ込め、宇宙空間へ逃がさない性質があります。その結果、地球全体の気温は上昇し続け、現在では多くの生物が耐えられる限界に近づいています。言い換えれば、地球規模の破局は、多くの予測よりも速い速度で近づいているのです。
なぜ人類はこれほど多くの化石燃料を使用するのでしょうか。
燃料はエネルギーを生み出し、人類はそのエネルギーを使って無数の活動を行っています。人間の肉体的な力には限界があり、大規模な仕事をこなすには十分ではありません。しかし、人類はその知性によって自然界から燃料を取り出し、それをエネルギーへと変換することに成功しました。
そのエネルギーは、自動車、飛行機、工場の機械、電力、照明、空調設備、音響装置、宇宙船、コンピューター、さらには大量破壊兵器までも動かしています。
要するに、人類は自然の資源を借り受け、あるいは利用し、それを自らの生活のためのエネルギーへと変えてきたのです。
もし人類が自然資源を活用して生活を向上させるほど賢いのであれば、それの何が問題なのでしょうか。なぜ生命そのものを脅かすほどの極端な熱波という代償を支払わなければならないのでしょうか。
一見すると、人間の生活のために自然資源を利用すること自体には何の問題もないように思えます。しかし、よく見てみると、その資源の半分以上が、浪費的で不要な目的、道徳の向上に寄与しない目的、さらには破壊的な目的のために使われていることが分かるかもしれません。その中には、人間同士を傷つけたり殺したりするために使われるものさえあります。
もし詳細な統計を取るならば、自然資源の大部分が、軽薄で有害、浪費的、残酷、あるいは非倫理的な目的のために消費されていることが明らかになるかもしれません。
この主張に腹を立てる前に、まず冷静に考えてみてください。そうすれば、人類がいかに多くの過ちを犯してきたかが見えてくるでしょう。私たちの行為が罪と呼べるものでなくても、多くの場合、それは浪費に満ちています。
自然資源の誤った利用は、生命を脅かすような壊滅的な暑さという結果を、必然的にもたらします。
人類が道徳的完成を人生の目的とするとき
もし人類が、自らを道徳的に完成させ、卓越した徳を備え、深く聖なる存在へと成長することを強い決意をもって目指すなら、二つの結果が現れるでしょう。
第一に、化石燃料の消費量は急速に減少します。
第二に、太陽そのものが自然にその輝きを調整し、地球の気候や天候を良好な状態に保つようになるでしょう。
この見解によれば、人間の道徳性には、太陽の照射の強さにさえ影響を与える力があるのです。
したがって、地球上の生命を守りたいと願う人は、人類に対して倫理的に生きること、因果の法則を深く信じること、互いに愛し合うこと、そして悟りを目指す瞑想の実践を支え合うことを呼びかけるべきです。
この考え方によれば、それこそが地球を救うことのできる唯一の道なのです。
結論
要するに、気候問題は単なる炭素排出量や化石燃料、あるいはグリーンテクノロジーの問題ではありません。
それはまた、人類の道徳の問題でもあります。
地球の未来は、科学技術による解決策だけでなく、人類がどのような倫理的選択を行い、どのような価値観に基づいて生きるかにもかかっているのです。
Janna
