Janna Quotes

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善行を積むことは前進する一歩ですが、

その善行をいつまでも覚えていることは後退する一歩です。人はこのように前へ進んでは後ろへ下がることを繰り返し、そのために究極の聖なる境地へ到達することができないのです。

Janna Quotes著者: Janna Quotes2026年8月7日
善行を積むことは前進する一歩ですが、その善行をいつまでも覚えていることは後退する一歩です。人はこのように前へ進んでは後ろへ下がることを繰り返し、そのために究極の聖なる境地へ到達することができないのです。

功績を手放すこと

善良な心を持つ人は、一生を通じて善行を積みたいと常に願っています。善行を行うことは、徳のある人にとって喜びの源となります。誰かのためになることが何もできなかった日は、心が満たされず、空しさを感じるでしょう。

ある父親が、仕事を終えて疲れた表情で帰宅し、ソファに横になりました。娘は尋ねました。

「お父さん!毎日仕事から疲れて帰ってくるけれど、ある日は嬉しそうで、またある日は悲しそうに見えるよ。どうしてなの?」

父親は答えました。

「お父さんにもよく分からないんだよ。でも、誰かの問題を解決する手助けができた日は、心がとても満たされるんだ。反対に、うまく助けられず、問題を解決できない日は、そのことが心に重くのしかかってしまうんだ。」

私たちは善行を行えば、自然と幸福を感じます。そして、善行を積めば積むほど、心も身体もより強くなっていきます。

しかし、私たちが心身を尽くして善行に励むほど、その行いは心の中に深く刻み込まれます。その「刻印」は、やがて誇りや自己称賛の気持ちを生み出します。その思いが行き過ぎると、自分の善行の功績を主張したり、自分の功徳を誇示したりするようになり、その結果、人を居心地の悪い気持ちにさせてしまいます。

善行を積めば、私たちは福徳を得ます。しかし、誇り高くなればなるほど、その福徳は減っていきます。そして、その福徳がついにはマイナスになってしまえば、どれほど多くの善行を積んでいても、人生は苦しみに満ちたものになってしまいます。

自分の努力を忘れることは簡単ではありません。善行には、労力、時間、精神、そしてお金が必要です。だからこそ、それらを完全に忘れ去ることは容易ではありません。しかし、それでも私たちは、あらゆる手段を尽くしてその功績を手放さなければなりません。

道徳は、人生においてできる限り多くの善行を行うことを求めます。そして、高い道徳性は、自分の功績を忘れる力も求めます。この二つの要求は、人間の心に大きな葛藤を生み出します。しかし、私たちはその葛藤を乗り越える決意を持たなければなりません。

善行を積むことは前進ですが、その善行をいつまでも覚えていることは後退です。人はこのように前進しては後退することを繰り返し、それが絶対的な聖性へ到達することを妨げてしまうのです。

ひとたび徳を求める道を歩み始めたなら、途中で立ち止まってはなりません。私たちは究極の聖なる境地へ向かって自らを修養し続けなければなりません。その究極の目標に到達するためには、数々の障害を乗り越えなければなりません。

功績を自分のものとして主張することは、その障害の一つです。それは自己称賛と慢心を生み出すだけです。だからこそ、私たちは自分の功績を手放す修行をしなければなりません。

その功績を宇宙へと捧げ、自分自身は、風の吹く午後に静かに舞い去る一粒の塵でありたいと願うのです。

Janna